今回は、大山町にある『後醍醐天皇御腰掛岩(ごだいごてんのうおこしかけのいわ)』をご紹介します♪
今から約670年前、鎌倉幕府の倒幕に失敗した後醍醐天皇は、島根県の隠岐島に流罪となりました。
1333年、後醍醐天皇は一度失敗した倒幕と天皇中心の政治への野望を捨てきれず、幕府軍に閉じこめられていた隠岐の島から命がけで脱出し、たどり着いたのが「名和の湊(現在の御来屋港)」です。
この時、疲れた天皇が体を休めるため、海岸にあった大きな岩に腰をかけたという言い伝えの残る岩があり、この岩を「お腰掛けの岩」と呼んでいます。
30年ほど前までは海中にありましたが、漁港の改修により海面から1.4m持ち上げられ、現在では陸の上に位置しています。
この場所には、後醍醐天皇の御製「忘れめや よるべもなみの荒磯を 御舟の上にとめし心を」を記した歌碑もあります。